今年もこの季節がやってきました。
季節、というよりは当たり前の年末。
Cafeふついち(=普通が一番)でも、年の締めくくりの
言葉をいわなくては。そんな、季節です。そんな日です。

この季節になると、いろいろ思い出す。
昔から冬が好きだった。
冬のどこか切ない雰囲気と匂いが好きで。
制服を着ていたころはマフラーとカーディガンで
おしゃれをするのが楽しみで
この時期になると毎年マフラーに顔をうずめる自分や
カーディガンの袖で手をあたためる自分を思い出すんだ。
そして、あぁ、今年はどのマフラーをつけようかな、
何色のカーディガンを着ようかな、なんて悩むのが
楽しい。
そんな想いに足して、2005年の冬
以来、また思い出すことが増えた。
人間の記憶や嗅覚とはすごいもので、この季節に
なると、この季節の匂いで、折り紙がしたくなる、
あみものがしたくなる、すごく、不思議だ。
2005年の冬、高校2年生の時に学校を休むこと
が多くなり、今日はいこうかな、いきたくないな、
今日は行かなかったな。そんな想いをめぐらせ
ながら、家で一人、おばあちゃんが買ってくれた
折り紙で鶴やら箱やらを折っていた。
だから今、この季節になるとそういうことをしたくなる
のだろう、と母に尋ねるとそういわれた。母に尋ねな
がらも、私もきっとそうだろうと思っていた。
したくなる、というよりは、からだが気持ちがそうしてしまうのだ。
先日のCHRISTMAS CARDのお星様はいつも飾られています。
あれは、当時におばあちゃんちで作った、お星様。
勉強する気も、なぁんにもやる気がおきなくて、
折り紙をずっと折っていた。
母がどこかへいくっていうから、その間
おばあちゃんちで待ってたんだっけ。
「折り紙楽しい」。そう思って、唯一見つけられた
「楽しいこと」に喜ぶわたしに、母やおばあちゃんも
それからいくつも折り紙を買ってきてくれるようになった。
あのお星様はかれこれ2年もいることになるんだなぁ。
思えばこのころから、私はとっても大切にされていた。
やる気のない私に、折り紙を買ってきてくれる家族。
嬉しいけれど、お金もかかるし、私の一番
求めているものではなくて、このころは複雑だった。
やる気のでない鬱のわたし。
それを埋めようと、物ばかり買ってきてくれる母。
でもそれは私の求めているものではなかった。
それも母はわかっていた。
でも、母はそうすることしかできなかった。
そうすることしかできないと、わたしもわかっていた。
2年経った今、母は驚くほど私を理解して
いて、私以上に私のことを解っている。
私は今でも抵抗がある「ひきこもり」の本も、講演会も、
母は全部自分ひとりで読んで、聞いて、
本なんて読んでどうするんだ、講演会なんていってどうするんだ、
と思ってたけれど、その効果は絶大なるものだった。
わたしは張本人であるから気がつかなかったけど、
病気でない人はなにかで情報を得ないと、この病気は
こんな気持ちになる、こんな症状がでるとかが
わかんないんですよね、よく考えてみると。
私は本人だからわかるし、なにやってるんだろうと思ってたけど。
でも母の努力は母だけのためではなく、私のためにもなってるのだ。
例えば私がこんな気持ちになるんだ、と説明すると、
「そうだよ、うつ病の人はそうなるらしいよ」と母が言う。
私ってうつ病に近いんだというショックを覚えながらも、
「あぁ、勘違いじゃないんだ、私だけじゃないんだ」という安心も覚える。
そういうことが2年の間にいくつもいくつもあって、
母はついに私を超えてしまった。
私以上に私のことをわかり、知り、見ている。
母だけではない、わたしは本当にいろんな人に
大切にされているなぁ、愛されているなぁと、実感するんです。
もったいないくらい恵まれて、大事にされて、
だから自分を大切にしなきゃ、もっと生きなきゃ、って思うんです。

私、このCafeを開いてよかった、日記を始めてよかった、って
本当に最近思うんです。「生きた証」を残したいなんて
初めは言っていましたが、本当にそうなんです。
人を勇気付けるどころか、わたしがいつもパワーを
もらってばかりなんだけど、それを、残す場所が
あってよかったって最近おもうんです。
横のプロフィール、たまーにちょくちょく
増えていたのはお気づきでしたか?
この日記を始めたころは、途中に「一日一日を、精一杯
生きてる」みたいな文があって、「未来を信じ、今を生きる」
で終わっていたような気がします。
これを書いたときに、「未来を信じる」ってさらっと言うと
安っぽく聞こえるけど、本っっっ気で思ってたんですね。
未来を信じるって、できるようでできないと思うんです。
でもこのころはその真意を理解したつもりで、ほんとに
未来を信じ始めたっていうころだった。それまでは未来
を信じることがなんなのかもわからなかった。
そして、本気で一日一日精一杯生きていました。
でも、一日一日を精一杯生きていたんじゃなくて、
正しくは、一日を生き抜くだけで精一杯だったんです。
できることならあしたにでも亡くなりたい、
生きるだけで精一杯、ほんとうにそうだった。
くるしくてくるしくて、たまらなかった。
今読み返せば綺麗事のかたまりだけど、
このころは本気で、ぎりぎりの気持ちで書いたことだらけだった。
そしてこれを書いたときに、思ったこと。
「この気持ちを忘れる時が、いつか、くるのかな?
忘れたことさえ忘れてしまうのかな?
忘れてしまうかもしれないから書いておこう、
でも書いておいたとしても、見て思い出せな
かったら悲しいな」
予感は当たった。
これを書いてから今までの間、何度かあった。
「わたしって、こんなにひどかったんだ。
こんなに思いつめてたんだ、こんなに追い込まれてたんだ」
と思ったことが。
プロフィールを読んで、そのときの気持ちを思い出すことはできるよ。
でも、その時の気持ちになれっていうのは、難しかった。
人間、慣れっていうものがあるし、「今よりつらくなくなったら、
いろんな事忘れちゃうんだろうな」って覚悟はしてたよ。
でも良くなるに連れて忘れていく自分が少し悲しかった。
人間誰しもそうだから、しょうがないかもしれない。
そのときの気持ちに自分をもっていくのは難しいよね。
だから、ここという場所を大切にするよ、ここに生きた証を残すよ。

そして、最後にもう1つ。
私はもやになって、もやになる前より、ずっとずっと
強くなった。大人になった、と思う。
でも、むしろもやになる前が子供過ぎて弱すぎたんだなとも思う。
私がもやになってからテレビで見る人たちって、
みーんな強いなーと思うの。
もやになる前と、全然見方が違う。変わった。
そして、私と同年代なのにしっかりしてる子を見ると、
わたしはこんな風になってやっとここまで強くなれた
と思ってたのに、どうしてこの子はこんなにしっかり
しているんだろう、強いのだろう、と自分の弱さを思い知らされる。
同時に、この子はうつ病になったり、いじめられたり、
病気と闘ったり、主観ではすごい闘いをしたようには
見えない。でも、どうしてこんなに強いのだろう。つらい
経験をしないと強くなれない私に比べて、どうして世の
中にはなにもしなくても強いひとや頭のいいひとが
いるのだろう、と悲しく、いや違う、悔しくもなる。
そして、精神的にはつよくなったけれど、
精神的に社会面では私は弱くなったなぁと思った。
例えば前はアルバイトなんてできていたけれど、
今働けといわれたらできない。人に怒られて
耐えうる自信がない。
わたしはいつになったら社会復帰できるのだろう、と不安になった。
こんなふうに、不安はつのるばかりなんです。
不安だらけの毎日なんです。
でもね、考えてみて。
2年前、家にこもって体力のなくなった私。
一日たったの数時間出かけただけで、
帰ってきてすぐにお布団にばたんきゅー。
疲れて疲れて疲れてご飯を食べている途中に眠くなって寝て、
回復するのに2日はかかる。
人ごみを歩くだけで精神的にも肉体的にもすぐに疲れていた。
体力って言うのは物理的なもので、今そのときに
はぁはぁ言って体力がなくて疲れ切っているのに、
「今に体力つくよ」と言われても全然説得力がないのだ。
だからしんどくてしんどくて、このままでどうしよう?
こんな体力がないままで学校に行ける日はくるの?
心配でたまらなかった。
だけど、月に1回くらい出かける私が、多くて週1回に
なって、精神的にも体力的にも絶対に一生無理だと
思っていた旅行にも行けて。
今は何で行けないと思っていたのか不思議なくらい。
でももやになった当初に母は気晴らしのつもりで言った
「ディズニーランドへいこう」の一言がわたしにとっては
「なにをさせるんだ、できるわけないだろう」と、怒りと
現実への悲しみを感じたのは確かだった。
それからパパと映画も行くようになって、人ごみだらけ
のバーゲンにも行けて、アトピが治るまで無理だと思っ
ていた真昼の海にも姉と行けて、それからまた3ヶ月
くらい出ないときもあったけれど、また夜に出かけること
から始めて、3ヶ月に1回だった本屋さんも今では1ヶ月に
1回、多くて2、3回は行くペースで、週に1回のヨガも今の
ところ3回連続行けたじゃないか。もやになりたての頃、
だいっきらいだったヨガ。訪問ヨガもあるよ、と母に言わ
れたが、人に会うのも、人がうちにくるのも、ヨガをする
のも、すべてがいやだった。
そんな私が、今、人に会ってならいごとをしている。
奇跡に近いよ、奇跡のようだ、と言いたいよ。
でもきっとちがうんだ。2年間、わたしが
生きた努力で得た成果なのだと、私は信じたい。
体力も、ならいごとも、バーゲンも、旅行もそう。
「行きたくないよ」から「行きたいけど行きたくない」に、
「行きたいけどまだ行けない」に、「行きたい、行けるようになるよね」
そして、行けた。
願えば、叶う。
それは願うから叶うのではないんだ。
願いごとを叶えるために、人は動くから、努力するから、叶うんだ。
多かれ少なかれ速かれ遅かれ、動くから。
足が動くのはもちろん、希望と言う名の気持ちが動くんだ。

ヨガは身体にいいんだ。
わかっていたけれど、やりたくなかった。
訪問ヨガも、訪問カウンセリングもいやだった。
でも、今ならいいかなって思う。
いいかなって思ったときにやればいいんだよ。
いやなときにやろうとしても、もやになるだけ。
人が勧めているからって、外出しない自分に
合っているシステムだからって、自分が好きに
なれないと続かない。
それに、訪問してくれることで、私がそれに慣れて
外出がもっとできなくなったどうしようという不安もあった。
でも今はそういう不安もなくなった。
訪問ヨガや訪問カウンセリングもいいかなと思ったのは、
単に柔軟性が生まれたのともう1つ、「それに慣れて
外出できなくなるかもしれない」という不安がなくなったから。
だから最近、お買い物や本屋もがっつかなくなった。
きっとそれは、「またこれるから」という自信がどこかに
あるからなんじゃないかと、思う。
そしてその自信を感じれる自分が、嬉しかったりする。
体力も、出かけるのを重ねるたびに戻っていった。
だから、大丈夫。
自分が思っているよりも人間は弱いけど、
自分が思っているよりも、人間は強いんだ。
今心配していることも、「今」心配なんだから、
焦るなとも心配するなとも言わないよ。
でもね、ほんとうにきっと心配いらないんだ。
不安なことほど、しっかり成長してるんだ。
だいじょうぶ、だいじょうぶ、大丈夫。
ちゃんと進んでるし、ちゃんと成長してる。

昔、いろんな言葉を集めている時に、こんな言葉があった。

「人生はらせん階段のようなものだ。ぐるぐるまわって
いるだけのようで、ちゃんとのぼっていっている。」

うまいこというなぁ、と思った。
でも今は、その通りだなぁ、と思う。
自分が思っているより時間はかかるかもしれない、いや、かかると思う。
でも、道は着実に開かれていて、
じゃりじゃり道で横にしか歩けていないように見えて、
前にもきっちり進んでいるんだよね。

こんな気持ちになれるまで、こんな風に思えるまで
2年、少なくとも1年かかりました。
以前、こんな病気は、こんなつらいことは2度と
ないんじゃないかっていうくらいだって言った気がします。
まだ18だし実際はどうかわからないけど、人生で3本
の指にははいるんじゃないかなとも言ったと思います。
でももしかしたら、これよりもっとしんどいことが残り2つ
どころか3つも4つもあったらどうしようって思います。
でももしかしたらそれは、今のこの病気のつらい気持ちを
忘れちゃって、普通に慣れちゃったから、ちょっとしたこと
でもつらいと思っちゃうんじゃないの?とも、考えられます。
だからさっき言ったように、ここにこうやって
ずっと私の生きた証を残していきます。忘れないために。
ほんとうにつらかったことは忘れないだろうけど、ここの
文を読み返すことで、思い出す気持ちもあると思うんです。
だから、ずっとずっと残していくよ。


あの日、
トンネルの向こうの光が見えなかった、ずっとずっと見えなかった私。
今はね、ううん、今よりも少し前から、
見え始めているよ。どんな光なのかはまだわからないし、
光かどうかなのかも実はわからない。光で合っているのかどうか。
でも、ゴールも足元も天井も見えない、真っ暗なトンネルは終わったよ、
なにかが、見え始めているよ。
そしてそれは、わたしひとりの努力の成果じゃないんだ。
むしろ私はあまり努力していない。
サボってばかりだった。
周りの人の努力、周りの人の支え、愛情。
そしてそうやって周りの人に感謝できる私を
つくってくれたのもまた、周りのみんな、あなたです。
もし私に「頑張ったね」と言ってくれる人がいるのなら、
頑張れたのはあなたのおかげです、あなたがいたからです。
楽しい、嬉しい、って感じられるって幸せだと思う。
これをしたい、あれをしたいって欲が出ることって幸せなことだと思う。
きれいだ、かわいい、美しい、そんな風に思える自分を美しいと思おう。
こんな気持ちをくれてありがとう、こんな気持ちにさせてくれてありがとう。
ありがとう、は魔法の言葉だよ。
ありがとう、ありがとう、ほんとうに、ありがとう。
私は生まれてきてよかった。
生まれてきて生きることの難しさ、生きる勇気、を知ってよかった。
生きる喜びとはこういうことなのかと、生きることを喜ぶ、
生きることに喜びを感じるんだよ。
そしてこんな魅力たっぷりの充実たっぷりの2007年という年をありがとう。
来年も、あなたに笑顔いっぱいの暮らしが注がれますように。
最高に幸せになれることに越したことはない、
だけれど来年も、ただ普通に健康に暮らせると、いいな。
つらいことがあってもいい、泣いてもいい、その分成長できるもんね。
ただ、あなたにとって意義のある一年になると、いいな。
生きることを素晴らしいと思える、2008年もそんな一年になると、いいな。
良いお年を―――。

テーマ : 詩&想い
ジャンル : 心と身体

12月30日の雪の夜の日

母とまたケンカをした

それから母と姉がケンカをした

母が姉のアイスクリームを食べてしまったから。

それにしても姉の言うことはひどいと思った

でもそのあとにわたしが

ワインを飲んでしまったから雪降る中

アイスを歩いて買いに行く母を追いかけたのは

決して母をかわいそうだと思ったからではないと

多分思う。

そして姉の見るテレビの音がうるさかったからだけではないと

多分思う。




姉がわたしのいる場所でテレビをつけた

私がテレビの音を嫌うことに気を配りもしない

いいよ別に

配って欲しくもないよ、というのは強がりかな。

母が玄関のドアを閉めた

わたしは走った

大事なメモとマフィンとアフィンを連れて階段を駆け下りた

廊下の電気がついている

母はまだいる?いや、いない。

今日は12月30日

玄関は年末掃除で靴だらけ。

そこからお気に入りのワラビーを見つけて、履いて、さぁ、どうする?

時間がない、ドアを開ける、

向かいのひとがいる!向かいの家に来客のようだ。

1分くらいかな、来客が帰るところだったようで、

帰って、向かいの人も家に入っていった。

今だ!しまった、さっきまで泣いていたから眼鏡を置いてきた。

ていうか、寒いよ、

アトピの私が好んで着るのは綿パジャマ。

今日、私の町では雪が降った、降っている。

そんななかでうすい綿パジャマにフリース1枚。

母はどっちへ行ったのだろう

あっちのスーパーかな、こっちのコンビニかな。

ええい、いちかばちか、コンビニだ!

まるでドラマで、走った恋人を探し求めているようだった。

そして今頃玄関の庭に母の足跡があることに気づく。

コンビニに走りながら、母の足跡がコンビニに続いていることに気づき、

気づいたら私は雪のなか綿パジャマにフリース1枚で

マフィンとアフィンを抱きかかえて、傘もささずに

走っていた。

なぜだかわからない。

雪一面広がる真っ白なコンクリートに

ぽつんと浮かぶ足跡

きっとこれは母の足跡だ、と確信しながら

足跡を辿って全力疾走する私は

綿パジャマに跳ね返る水も気にしないで

通り過ぎた薬屋から誰かが出てきたのも気にも留めずに

まるで自分じゃないようで、何かの主人公みたいだった。

ヘンゼルとグレーテル?

目がよく見えないから、夢のようだった、一瞬の出来事だった。

寒さも何も、感じなかった。

ただ、わたし、走ってるじゃないか、ひとりで家を出て
ひとりで走ってるじゃないか!と思った

目が見えない、吹雪の中、うっすらと黒い人が見えた。

あぁ、わたし眼鏡をかけていないから
テレビドラマを見ているように見える。

ママだかわかんないから、そろりそろりと近づいてみる。

今考えると、ママじゃなかったらヘンなひとだと思われるよね。

ママだった。

どうしたの、と驚く母。

さっきまでわたしたちケンカしてたもんね、

わたしもなぜだからわからない。

走るのをやめた途端、寒さを感じる。


コンビニに着いて、バーバリーの傘を差しながら

コンビニの外でひとり待つ私。

寒くなって膝をかかえて座り込んだら

太ももの裏ととふくらはぎの裏の綿の布がくっついたのがわかった。

雪で濡れていたから。

冷たかった。

マフィンとアフィンが顔に当たった。冷たくなっていた。

こころのなかで、ごめんね、と思った。

毛についた雪が溶けて、どんどんあったかくなってきた。

マフィンって、こんなにあったかかったんだ。

寒いから、あたたかさを感じる。

ママは遅かったから、あったかいお茶でも買ってきてくれるかなと思った。

寒くて寒くて死ぬというよりは眠っちゃいそうで、

山の中で凍え死ぬって、こんな感じなのか、
いやきっとこれ以上なんだろうなと思った。

ママは普通に帰ってきた。

慰めの言葉もなにもない。

さっさと家路にゆく母の後を追いかけて、
あったかいお茶は?と尋ねると

そんなもんないと言われた。

私は甘ったれだなぁとまっすぐな家路を歩いて
遠くに見える近所の家の人の電灯を見つめながら思った

寒くないか?大丈夫か?
そうやってあったかいお茶を買ってきてくれる温室が
わたしは当たり前だったんだなぁと思った

寒くて、何年ぶりかに走った私は息切れし、
気持ち悪くて、帰路ではなんにも喋れなかった。

走って先に帰ればと母は言う

だけどわたしは何故か一緒に帰りたかった。

雪があがり、傘をどかしたあとの景色がきもちよかった

玄関に入った途端倒れこんだ

大げさな、と自分で自分に思ったけど

意外や意外、すぐ立てると思ったのに立てないよー

こんなに気持ち悪くなったのはいつぶりだろう。

駅伝を走った気分だ、

ここにおいて置くよ、と一言、母は2階へあがる

えっ!!なに!!と叫ぶ私

あったかいお茶を買わなかった母は
わたしに大好きなグミを2袋も買ってくれていた。

やっぱりわたしの母だった

甘ったれな親子だと思うひともいるかもしれない、

でもそれが私の母で、私の大好きな母なのだ。

感動しながらアフィンとマフィンとグミを抱きかかえ、階段を駆け上がる。

気持ち悪くて、2階の廊下で息切れが終わるまで座り込んだ。

それから2階のキッチンで

レコード大賞の歌唱賞は誰の手に!?っていうところよりもっと前から、
エクザイルの手に渡って、それから
レコード大賞はだれの手に!?っていうところまで、

ずっと座り込んでた。

気持ち悪いという私に、母が

グミ食べたら絶対に元気になるよ、きっと。と言った。

何の根拠があるのだろう、嫌味にも聞こえたはずなのに、
でもなんだかすごく嬉しかった。

後から母に聞いたら別に何の意味もない、本能で言ったと言われた

母は”りなはグミが好き”と単に思ったから言ったのか

”りなはママの買ってくれたグミが好き”と思ったから言ったのか

わからないけれど

母はコンビニで私がグミが好きなのを思い出して

買ってくれたんだと思うと嬉しかった。

何度も言うが、母を追いかけたのは
決してかわいそうだと思ったからではないと
多分おもうのだ

でも怒らせるためか、喜ばせるためか、と聞かれると

後者に近いものがあったと思う。

なのにそれどころか、グミを買わせることになってしまった

「ごめんね」とか「私そんなつもりで追いかけたんじゃないよ」とか
「ついてきたからお礼に買ってくれたの?」とか
「ついてこなかったらグミは買ってなかった?」とか
いろいろ聞きたいこととか言いたいこととかあったけど

ただ、「ママ、これありがとう」と言った。

母はただ、「うん」と言った。



今日の母はやっぱりあったかいお茶は
いれてくれない。

だから微量の息切れをしながらも
水を沸かして、プーアル茶をいれた

わたしはどれくらい気持ち悪いかというと、

いつもはきっちりスプーンで計るお茶の葉を、
ざざーっと袋からおおざっぱにいれるくらい。

できあがったプーアル茶を注ぐ時、
3つのコップが必要だったのに
2つしか用意していなかった。
もう1つのコップをとりにいくのがめちゃめちゃきつかった。
それくらい。



なにも食べていないので吐くものもない。
お腹が減って気持ち悪いのに食べる気も起きない。

たいへんだ、気持ち悪い。

なのに、なんにも悲しくない、悔しくない。

しいていうならこんな気持ち悪いのは
久しぶりだということが悲しいかもしれない。

こんなに寒いと思ったのはいつぶりだろう
寒さでたらたらと鼻水がでるのはいつぶりだろう

ここに書くためにいろいろ思い出したけど、
このときはドアを開けたときの雪一面の景色と
気づいたら走っていたことしか覚えていなかった

気づいたら雪のなか走っていたんだ

すごいじゃないか、わたし。

水が沸くまでの間、床に倒れこむように座りながら、そう思っていた

私、生きてると思った。

そう思うと、なぜか涙がでてきた。


プーアル茶ができた。

レコード大賞はコブクロだそうだ。

3つのコップのうち1つを、隣の母の目の前に置く。

母は返事をしたけれど、飲んでくれるかな、飲む気になるかな。

わたしはコブクロの歌に感動して泣いているのか、
自分に感動して泣いているのか、
わからない。

コブクロのこの歌好きなんだーと、私は口ずさむ

母は、最近の歌は嫌なことを思い出すと言った。

ちょっと悲しかった。

母にとって嫌な歌が、思い出深い歌へと変わるといいな。

私とは正反対に、母はまだ私とのケンカの残り香も、
姉とのケンカの残り香も、
消えていない様子。

それならそれで仕方ない。

私も余計なことは言わない。

3つのコップのうちの1つを、

母は黙って飲んでくれるのだからそれでいいじゃないか。


               12月31日05:27:40

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

Mon,December 24th.2007

ちょっとっていうかかなり、今さら感があるけれど、
クリスマスにした飾り付けを披露します。
ほんとはクリスマス当日にCafeの飾りつけ
として披露したかったのにー!失敗!
わたしはもともと工作とかが好きで、図工や美術の時間が大好きだった。
家にいつも居るわたしが、クリスマスに出来ることってなんだろう?
もやもやでやる気の出ないわたしに、できること。
料理はつくれない、外に出られないから
クリスマスプレゼントも買えない。本当は
何回か外出したんだけれど、気に入った
プレゼントが見つからなくて、どたばたで
あげるのは嫌だったからやめたの。
本当は24日の夜、みんなの枕元に
プレゼントを置いておきたかったな。
そんな私が1ヶ月前から考えていたこと。
要らないチラシで、飾り付けをするの。
実際にしてみて、飾り付けを私は色んな
意味でなめてたなぁと思いました。
私に出来ることって「飾り付けしか・・・」って思ってた
けれど、実際につくるのは結構大変だったし、実際に
飾りつけがあるのとないのとでは、ムードも気分も
全然違うんです!チラシなんてちゃっちくてチープ
だなぁと思ってたけど、チラシのごちゃごちゃ模様が
いい味だしていました。っていっても最初はチラシの
模様は大抵ごちゃごちゃだから、いいチラシが見つかる
まで待ってたらあっというまに12月20日になっちゃって、
結局マーケットのチラシは赤が多いので、そういうのを使ったよ。
意外とシンプルで素敵なチラシのほうが切っちゃ
うと可愛いのがわかんなくなってつまらなくて、
ごちゃごちゃなマーケットやパチンコのチラシの
ほうが切ってもカラフルでイイってことを発見!
それにマーケットのチラシには「クリスマス」っていう
文字がいっぱいあって、それも切り取って貼りまくっちゃいました(笑)
チラシで輪っかをいっぱいつくって、そこにツリー
やハート、くつしたやお星様をぶらさげたよ。
こんなの作ったの、いつぶりだろうなぁ。

Cafe「ふついち」に来てくれたあなたへ、
Renaから少し遅れたCHRISTMAS CARD&MESSAGE
P.S.今さらな(笑)、messageが多くてごめんね!



THE VERY MERRY CHRISTMAS!
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この上には・・・

TREE,HEART&STAR

TREE,STARS&HEART




クリスマスに限らずいつもおうちにあるお星様。
クリスマスにぴったりでした。
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THE YELLOW STAR




折り紙でつくってあるんだよー。
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THE GOLD STAR





折り紙でつくったポインセチア。
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Renaお手製CHRISTMAS CARDに貼り付けて、FOR YOU





赤い部分と白い部分を利用して作ったサンタのぼうし。
うまいことつくったでしょ!でも赤い部分は赤が足りなくてちょっとペンで塗ったよ(笑)
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チラシで作った輪っかにぶらさがっています
この周りにもチラシでつくった輪っかがいっぱい。





I wish your Merry Christmas★
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テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

遅くなっちゃったけど

メリークリスマス!
よいクリスマスを・・・

かぜのように

なみだがこぼれたなみだがこぼれた
もや子特有の いきなりぶわっと
風のようにでてきて静かにこぼれつづけるやつ

なおったと思ってたのに
回復しているんだと思ってたのに
わたしのなかに
あぁわたしは怠けているんじゃなくて本当にこころの病気なんだと
思わされるようなものが、、まだある。
そしてそれは
怠けているんじゃなかったんだという安心ではなく
わたしはこころの病気なんだという現実へのかなしみ。

じぶんでつくってるんじゃないかと自分で自分を疑うような震え方。
からだが大きく揺れて泣く。
手が大きく震える。
昔は、感情がたかぶって自分で
演技してしまっているんじゃないかと疑った。
でもやめようとしてもできなかった。
逆に普通のときにやろうとしてもできなかった。
まだ自分のなかに自分で自分の足をなぐる自分がいたなんて

どうしてあと2m進むだけなのに歩けないのか
親がいるから甘えているんだと思っていた
でもちがう
こわい こわい こわい
ちかづくほどに震え 涙
ちかづいたぶん足が後ずさりする
自分でもふしぎ

家のなかにまだ
わたしに嫌な音があったなんて
嫌な空間があったなんて
理屈では説明できない
こころがもやもやもやもやする

ふしぎなことに
走ってもないのに息切れ
走ってもないのに脱力
こつんと押されたら倒れる
しぇるたーから足がうごかない
うごけるはずなのに うごけるはずなのに
いつもうごいてるじゃない 歩いてるじゃない
甘えてるだけじゃないの?
うごかない うごけない
こわい こわい

なみだがこぼれるのはなぜだかわからない
昔は理由があって泣くことしかなかったのに
なにかが
くやしくて くやしくて
この気持ちをくやしいと表現していいのかすらわからない
でもかなしいとかむなしいとからちがう

しぇるたーの外では身動きがとれないのに
しぇるたーに入ったとたん自由になるわたしはふしぎだ

わたしはこころが病んでるんだ

マッチの心

きのうは、水曜から寝ずに半日おでかけして、
帰ってきてとくばんの岡田さんに癒されて(笑)
寝ないでヨガに出発して、夜11時に寝ました。
疲れて疲れて眠くて眠くて今日は14時に目が覚めて
それでも起きあがれなくてやっと15時に起きました。
夕方に昨日失敗したアマゾンへの振込みを済まして
ひと息ついて元気も少し出て、ミュージックステーションスーパーライブを
ひとりで楽しんで見てます。
うどんを小さな鍋に入れて火をおこして。
マッチをつけるのが苦手なわたし。
いつも誰かにつけてもらうかつけるのを傍で見てもらいながらつけるのですが
はじめて一人でマッチをつけました。
どきどきしたぁー。ろうそくもいつもと違って
真ん中に紙の芯がないタイプだったので・・・。
しゅっ・・・と火が点いたのを確認して
ボッとろうそくに着いたのを確認してマッチを持つ
右手指に火が届く前に水を溜めてあったところにぽとっと落としました。
大げさな、と思うかもしれませんが・・・ほんとにこわいんですよぅー。
点けるまでが。こすった勢いでマッチ箱を持つ左指に火がつかないかとか
ろうそくに上手くうつらなくて火がマッチをのぼってきちゃうのとか。
すぐつくマッチでよかったぁ。
あれ、もともとこわいから、恐る恐るこするからつかないんですよね。
でも頑張って思い切りやってもつかない時もあるし、
なかなかつかないとハマっちゃってずっとつかないんですよねぇ、
なにげなくこすってたらボッていきなりつくし、油断できないし。
油断してたらついちゃったときのあの焦りったらないですよぅ。

わたしがマッチつけるのが下手なんじゃなくて、
湿気とかマッチの状態が関係あるってわかってからは
あんまりこわくなくなったというか、
プチコンプレックス(笑)はなくなりましたけどね。
点くときはすぐ点くし点かないときはずっと点かないし、
自分が下手なんじゃないんだ(まぁちょっと下手だけど)
って気付いたのは最近なんですけどね

さぁー今からうどん食べながらV6さんたちが出るのを正座しながら待ちます。
他にもいろんな好きなアーティストさんたちがいっぱい出るので楽しみ。
音楽っていいよね!

空もとべるはず

「魔女の宅急便」
ジブリ作品をきちんと見たのはこれが2作目。
「ウォーリーを探せ!のウォーリーみたいな
男の子とプロペラ機みたいなもので落ちる」
としか知らなかった。
なのにトトロも含めて見た気になっていて、
幼い頃に初めて見たジブリだからか、
真っ赤な大きいリボンをつけているキキが可愛いからか、
好きなジブリ作品と言えば「魔女の宅急便」でした。

魔女の宅急便はよく幼い頃に公民館で最初から
最後まで見た気がするんだけど、全然覚えていない。
制作は1989年らしい。生まれた年だった(笑)
トトロは昔金曜ロードショーで何回も見たけど、
どうもあのCMがちょこちょこ入るのが集中
できなくて・・・きちんと見てない気がする。
でも不思議な感じで、理解できなかった気もする。
ハウルをテレビで見たときは、途中から見たんだけど、
意味が解らなくて、多分こういうファンタジーな話
なんだろうな・・・と思いながらも「意味わからん」
というと、家族に「ジブリはこういうのなんだよ!」と言われた。
その頃はミステリアスとか後味すっきりしないのとか、
不思議なジャンルが今ほど好きではなくて、まだ
ハッピーエンドものが今より好きな頃だったので
惹かれつつもよくわからなかった。
でも嫌な印象はなかった。昔見たトトロの記憶は
間違ってなかったのかも、ジブリはこういう不思議な
感じなんだ、と今思えばこの頃からジブリ作品に
惹かれていたような気がします。

それから岡田准一さんが好きなのでそれを通して
ジブリの歴史を知り、(といっても大したこと知りませんよぅ)
ゲド戦記と出会いました。
(もしかしたらゲド戦記の声優をやるって決まったか
ら、ハウルを事前勉強として観たのだったかなぁ?)

魔女の宅急便魔女の宅急便
(1997/11/21)


大きくなってきちんと初めて見て、
やっぱり覚えている部分もあったけれど、
あの始まり方は知らなかった。
ママのほうき。
パパのラジオ。
ミルクを飲むジジ。
ユーミンの歌が耳から離れない!
パパの車にのっかっているお布団(?)の形が
赤いリボンに見えました。気のせい?
街並みの絵がとってもきれいだった!
芸術的にも美しいし、住みたい街としてもとってもきれい!
ジブリ特有のアニメの動きが好き。
ほうきの先っぽでゆらゆらゆれるラジオの動きが好きでした。
あぁ、この時代ってラジオなんだぁ、手紙なんだぁ、と思わされました。
修行先の屋根裏部屋のお部屋。
汚いけど、なんだか今のわたしには
小さなシェルターみたいで、いいなと思った。
実際はテレビもDVDも携帯もパソコンもなくて
不満や不便がいっぱいでてくるのかな。
ベッドの脇に貼ってあるカードが、ジジの
イラストに見えて仕方ないです(笑)

パン屋さんの店番を手伝う代わりに、居候させてもらうキキとジジ。
宅急便をするための電話は貸してもらうことができた。
キキが自分の食料を買いに行くのや
電話をひくためのお金について考えているのを
見て驚いた私は、最高の甘ったれだ。
居候させてもらうことで、ご飯もお風呂も着替えも一緒に頂けると思った。
パン屋さんにある電話を見て、あれを借りよう、って思うと思う。
キキが「こんな服しか持ってないし・・・」と
言った時、買ってくれるのかな?と思った。
私ってつくづく考えが甘い。人に頼りすぎだと思う。
社会に出たらどうなるんだろう。
こんな考えばかりしてたらキリがないからやめるんだけど、ときどき、
極度の頑張りすぎな自分と極度の甘ったれな自分に気づき、
どうしてこうも極端でコントロールが
上手くできないのだろう、と悲しくなる。

キキが宅急便をする際に上から見える景色。
あんな景色を普段見れないので、
自分も飛んでるみたいですごく楽しい。
トンボとプロペラ機で走っている時も、
臨場感?疾走感?すごくあふれてた!
劇中にみどりがすっごく綺麗なところがあって、
こんなところに住んでみたーい!と思った。
仲間たちが乗った車からトンボが何度か誘うのだけど、
断っちゃうキキの気持ち、なんだかわかるなぁ。
森の中のアトリエは素敵だった。
こんな小さなアトリエがほしい!
アトリエにある、あのキキの絵が最高に素敵だった。
あの絵が、すごく好き。幻想的で、とてもきれいだった。
あんな絵が描けたらな。
宅配物を取りに行った先で、あんな状況で
カマで器用に焼いてたのがかっこよかった!
職場(?)やお客様の前であんな風に
特技を披露できたらかっこいいなと思う。
お客様にも喜ばれるし。そういう仕事をしたい。
「サインをください」と自分のメモ帳にサインをもらうのが、
いい意味でおままごとっぽいというか、アナログで可愛かった!
トラブルがある場合も考えて(あの町ではなさそうだけど)
宅急便屋さんはサインをもらっておかなきゃいけないのに、
キキがやっていて「サインか!」と気づいた私はアホです(笑)
私だったら宅配して安心しきっちゃいますよぅ~。

キキが魔法を使えなくなる話は、
小さい頃に見るのと、思春期に見るのと、今見るのとじゃ、
全部感じ方が違っただろうなーと思った。
すごくジブリらしいというか。
子供から大人まで楽しめるアニメってこれのこと?みたいな!
ジブリの作品ってそんなに見てないですけど、
例えば魔女の宅急便もゲド戦記も、原作ものだし、
話を知るにはジブリじゃなくたっていいじゃないですか。
でもジブリの作品は絵がすごくきれいで、独特の動きもあって・・・
でも、なんかそれだけじゃないんですよね。
自分でもわからないんですけど・・・
「好きなものって理由がない」っていいますよね。
何でかわからないけれどジブリには惹かれるものがありますよね。
ジブリファンってみんなそんな感じなのかな、と
普通→ジブリファンになった私は思います。

そしてもっともっと大人になってもう1度見ても、
もっともっともっともっと年齢的に大人になって
だけどもしかしたら大事なことを忘れてしまった
大人になってしまっても、これを見たら大事なことを
思い出すような、そんな大人でありたい、そんな人間でありたい。

かたくなに勉強とか仕事ばっかりしてないで
切羽詰まったときは、疲れたときは
緑いっぱい自然いっぱいのなかで、飛び回って、遊びまわればいいんだよ。
ぐちゃぐちゃになったら眠ればいい
ぐちゃぐちゃになったら叫べばいい
ぐちゃぐちゃになったらぐちゃぐちゃのへたくそな絵を描けばいい
それでもダメなら友達に会いにいけばいい
それでもダメなら動物たちと触れ合えばいい
何をしてもだめなら
草木のにおいのする場所で羽をやすめて
自分が今よりもほんの少しでも大きくなればいつかきっと空もとべるはずさ
大きくなるなんて難しいよ
そんなことないよ
あなたが思っている以上にあなたは大きく広くなってるんだ

焦るな、落ち着け、精神を集中させよ。
心からやりたいと思ったら、心から志すものがあったら、
きっと願いは叶う、きっとあなたならできる、
きっとわたしなら、できるよ。
あなたを必要としている人は、いるよ。

テーマ : 心と体にいいことはじめよう!
ジャンル : 心と身体

心を豊かに

2006年10月にCafeをオープンしました。
その頃も今も、Cafeというほど居心地のよい
場所ではないけれど、そうなるといいな、と
思って、そう名づけ(?)ました。
そもそも私の感じたことを伝えたり、いいと思ったものを
紹介できたらと思ってたんですが、愚痴をいったりして、
私が来てくれるひとに励まされたりしていました。
「りなのCafeなんだから、りなの好きなことを書いていいんだよ」
といろんなひとに言って頂けたからかも知れません。
でもね、2006年11月に、わたしの生い立ち(?)
ばっかりだったから普通のことも話したい!と思って、
Kiroroの歌を紹介させてもらいました。
それから映画や本や好きな場所、もの、景色・・・
いろんなものを紹介したくても外には出ないし
テレビは見たくなかったし本は読まないしで、
それ以来ごぶさたでした。でも1年経った今は
長い映画も見れるようになってきたし、漫画は
読むようになったし、食べるし、少しは出かけるし・・・
Cafeに遊びに来てくださっているみなさんが一番ご存知だと思います。
なのでそんな話をどんどん増やしていこうと思います。
ていうか、最近増えてます、よね・・・?
だから最初は「おでかけしよう」ができたんだけど、
おでかけ以外にも出来ることがどんどん増えてきて、
毎回毎回Cafe menuにそれがテーマのメニュー
をつくろうっていつも思ってたんだけど、その度に
落ちることが多かったので、つくらずじまいでした。
でも最近はできる頻度が安定してきたので、
つくろうと思います。「ココロをユタカに。」

テーマ : 小さな幸せ
ジャンル : 心と身体

あみもの

できた。

あみものをしております。
私が今よりもっとずっと前に、去年か一昨年くらいに、
なーーーんにもやる気が起きなかった頃
母はよく、少しでもなにかやる気が出るものがあればと
本を借りてきてくれたり、絵本を買ってきてくれたり、
クロスワード本を買ってきてくれたり
おやつを買ってくれたり、ありとあらゆることをしてくれた。
でもその時の私は、母の気持ちは
嬉しいけれど、それが私の求めて
いるものではなくて、とても残念で、
申し訳なかった。という状態だった。
今でも母はあの時の自分のことを
「なにをしていいかわからなくて、空回りしていた」
というけれど、私はあのとき母がしてくれたことを
そういう風には思わないし、むしろ私のために
いろいろ尽くしてくれた母の努力であり、私に
プレゼントしてくれた物の数だけ、母の頑張りが
あるのだと思う。私はいい思い出になっている。
そして、もし母にとって空回りだったとしても、
空回りがあったから、今、地に足をつけてしっかり
動くこともできるのじゃないかと思うのだ。

その、母がしてくれたいろいろなことの
うちの1つに、あみものがあった。
何もやる気がおきない私だから、遊びで、
軽い気持ちで何か編んでみたらと、編み方本と
安いアクリル糸を何玉か買ってきてくれた。

わたしはやると言ったらきっと完璧にやりたい人
なので(だからこういう病気になったんだよね、苦笑)、
当時、糸の素材や色に不満を持っていた。
それに、こんな遊びにお金をかけてもらって、悪いなぁと思った。
でも、今でもそうなんだけれど、私は楽しいことに
お金をかけるということがなさすぎるかもしれない。
もちろん洋服や靴にはお金をかけて、それは楽しい
ことじゃないの?と言われたら否定できないのだが、
なんというか、私は少しカタいんだと思う。
でもこうやって母が買ってきてくれたのだから、
ありがたく遠慮せずに使わせてもらうことが、大事なのじゃないだろうか。
そういうことを心から理解することに、こんなに時間がかかったけど。

でも結局当時は、母も時間がなく、私も母の余暇を
待っている間にやる気も落ちてきて、
ずっと毛糸の入った袋はしまいっぱなしになっていた。
それからも何度か出したのだけど、つくる機会がなかった。
今月、先月かな?久しぶりに出して、10日に作り始めました。
最初は糸を買ってきてケープみたいなのを
作りたかったんだけど、せっかく母が練習用・遊び用
に安い糸を買ってきてくれてあったのだし、私は昔から
やりたいと思ったことをはりきってやりすぎて疲れて
しまうことが多くて・・・さらに鬱っぽくなってからは
自分はできると思ってやっても意外と気持ちがついて
いかないことの方が多くて、途中でできなくなること
の方が多いので、ここは焦らずやってみようと思って、
ケープを今すぐに作りたいのを我慢して、
まず練習からとりかかりました。
(ほんとうにこういう練習とかが苦手で、
すぐ作りたい!←そして失敗ばかりして
練習しとけばよかったと思うタイプ って
いう人なので、我ながらよく我慢した!笑)

なぜケープをつくろうと思ったかというと、
母が買ってきてくれた編み方本に載ってる
作品例がこれまたすっごくかわいくって!!
編み物で作ったものって、作っても売り物のように
きれいじゃなかったり可愛くなかったりして
なかなか普段使いできないんですよね。
でも、糸の素材と色をきちんと可愛く選べば
ちゃんとかわいいのができる!っていうのを
これを読んでてわかりました。
この本に協賛している手芸屋さんはどこだろう・・・。と思って
後ろのページを見てみると、やっぱり!
地元にもあるのですが、普通の手芸屋さんより、
かわいい布とかがいっぱい置いてあってちょっと
お高めな手芸屋さんでした。どうりでかわいいわけだ。

それでね、前置きが長くなりましたけど、
これ10日につくったやつです。
20071215022502

昔はよくつくってたんですが、忘れちゃってたので、
はじめの鎖編みを母に教えてもらいました。
鎖編みが終わったらそれからずっと延々長編みです。
あ、ちなみにかぎ針編みです。
わたし、かぎ針編みしかできないんです^^;
鎖編みと長編みのやり方だけ教えてもらって、
夜中一人で延々とやっていました。
でもね、穴がぽこって空いてるでしょ?
自分で本見ながら適当にやってったので、失敗作。

翌朝母に原因を究明してもらおうと思いましたが、
なかなか予定があわず、昨日の夜自分でほどいて
またやり始めました。
2回目は、穴ぼこは解決。でももう1つの問題は未解決。
もう1つの問題は、説明が難しいんですが・・・
わかる人はわかると思うんですが、これ、
この上の写真のままだと円が延々つづいちゃうんですよ・・・。
ほんとは続かないような編み方があるんですが、わからずじまい。
母に暇が出来、きのうまたほどいて三回目。
三回目は見事母に教えてもらい、全て解決。
・・・と思いきや、途中で編み方を間違えた
部分を発見して、でもそれでもできそうだった
のでもういいや~と思ったんですが、やっぱり
その失敗した途中までほどいて戻って四回目。
で、それで昨日の夜~夜中にかけて完成したのがこれです。
じゃーん。
20071215022605

少し見にくいけど、4回もやったのでなかなかの出来栄えになりましたー。
楕円の・・・なんだろう?(笑)
いちおう作りたいケープが楕円型なので、
それに似た楕円のコースターというものの
作り方をみて編みました。

これは一度やり方さえ覚えれば簡単でした。
しかし、編み物を通していろいろな成長(?)をするとは。
昔もよく編み物をしていたんですが、
本を読んでも全然わからないし母に直接教えて
もらっていたんです。でも、お母さんがいなくなったら、
編み物どうしようって、でも1人で絶対にできない。
って昔から不安で・・・でも大丈夫なものですね。
昔は編み方の読み方がわからなかったけど、
時間がたてばそれを自分で読もうとするんですね。
今回は母に頼らず自分で初めから読んでみようと
思って始めたんです。結局まったくわからなくて
教えてもらうことにしたけど、自分でまず読んでみる、
自分でやってみるってことがすごく大切だなと
思いました、わからなくても。
読んでみて少しわかるところもあったし、自分で
読んでから人に聞くのと、最初から聞くのとじゃ
全然ちがうなーと思いました。

それから、さっき言ったみたいに、昔は練習とか
しないで一気にやっちゃうタイプだったので。
あと、最初は練習だって頭ではわかってても
せっかく作ったのにほどくのが嫌だったんですね。
もったいないなぁ、って。
でもほどいてもう1回やるのと、ほどかずに頭で間違えた
所を理解するのとじゃ全然ちがうこともわかりました。
よく練習でできなかったら本番でもできないと言いますが、
勉強とおんなじで、やっぱり間違えた所はすぐ直した方がいいです。
あと、昔は間違えたらすぐに「もうやだーなんでー」
と、駄々こねて泣いたりしていました。
そういうのもなくなったなぁ、と自分で自分に驚いています。

編み物を通して、いろいろ勉強できました。
あと、編み方の読み方はまだわからないところも
あるけど、ほとんど自分で読み込んだので、
自分で読めるようになってきたし、長年の
「母がいなくなったら・・・」っていう不安も、解消に
近づいてきました。
昔は「母がいなくなったらご飯つくれない」って考えていたのに、
今は材料とつくる場所さえあれば作れるようにもなってきたし、
人間やろうとしたらできるもんなんだなぁと思いました。
それに昔って、年齢的にも本当に子供ですしね、考えすぎだったかなーと思います。

人間、不安がやる気につながったり、
できるかな、やれるかなって思ってることは
案外自分が心配しているよりできるように
なったりするってことだと思います。

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

でこぽん

また今日もヨガにいってきたよー
なんとなくだけど、きもちよかったぁ。
「今日」ってゆうかもう昨日か。
ヨガのあとは帰ってきて岡田准一さんの出てる
VVV6をみました。可笑しかった(笑)
あ、一昨日の水曜日に准一さん主演ドラマ主題歌の
『way of life』、発売されましたから!
ここでも宣伝しとかなきゃね(笑)
話そう話そうと思って忘れてたけどドラマ『SP』見てますか?
かなり面白いですよ!!途中からでも楽しめます。

ヨガから帰ってきて小腹が空いたわたしの胃をうめてくれたでこぽん。
きれいに剥かれてぐるぐるまわってます(笑)
20071214044203

12・12

だしてもだしても尽きない
目からこぼれ続ける液体に呆れる
昔のようにあたまがぼーっとして口を開けて
上を向いて後ろに倒れそうなくらい
くらくらする
嗚咽
目の前の壁にあたまをぶつけたい
もう立てない
歩けない進めない
何度も何度もぶつけたい
うしろにいる母が泣くからできない

また目の前がぼやけるから
ぼやけて見えなくなる前に自分から目を閉じる
つぎは頬が濡れるから拭きたいのに
そばにあるティッシュの箱はもう空っぽ
誰も持ってきてくれやしない
取りにいく気力も出やしない
人間はこれほどまでに涙がでるものか
あぁ昔毎夜泣いていたなぁ
もう二度とこない日々だと思っていたのに
夕方のドラマの再放送で主人公が泣いていた
わたしも一緒に泣いていた
このひとは演技でよくここまで泣けるなぁと感心していたのに
今はそれをも軽く越える量をながしているよ
しかし涙の量がつらさの量に比例するとは限らないよね
じゃあわたしは大してつらくないのに泣きじゃくる、泣き虫で弱虫かな。
鼻がつまって口呼吸
水を飲むと嗚咽
後ろにばたんとたおれた
吐き癖がなおらない
ティッシュがないからパジャマでこする
またかゆくなるよ
立てない
立ち上がれないよ

ほんとは助けてほしいのに
誰も助けてくれない
みんなほんとは弱いから
つらいのはみんなおなじ
自分がつらかったらわたしのことはほったらかし
そこですぐに立ち上がれないわたしはまだ弱虫
すぐに助けてほしかった
すぐにどうしたの?って
だきしめてほしかった

わたし

人は自決するとき
もがき苦しみながら息絶えるのではなく
むなしすぎて意外と冷静に絶つのではないだろうか

ずっと避けていた話題を
目を背けていたものを
目の前にすると
頭の、脳というべきところだろうか、
ぐちゃぐちゃになる

わたしはこれでもかと言うくらい苦しんでもがいて泣きじゃくっても、
涙が出ることなくただただ暗闇のなかで呆然とし
頭のなかはぐちゃぐちゃ、胸の奥はざわざわ、していても
命を絶ちたいと思わなくなった。
そんなつまらないこと思いつかない。
次どうしたらいいかばかり考えている。
こんなに面白い人生を捨てるなんてもったいない、と思うようになったから。
そして、わたしの周りにはわたしのことを
想ってくれている大切な人たちがいるから。

しかしわたしがいることによって
周りのたくさんの人に、たくさんのいろんな迷惑をかけているのを見ると
甘えとか頼るとかいう言葉では決して片付けられないほどで
わたしがいなくなれば本当にすべて元通りにいくことだらけなのに
わたしがいなくなればすべて事がうまく進むのは事実なのに
わたしは何故生きてるのだろう
わたしは何故生きられているのだろう、と
こわいくらい冷静に思う自分がいる

やまぶきいろの

こないだのつづき。
最後、図書館のお話。
本当はカフェ→図書館の予定だったんだけど、
カフェで雑貨を見まくって、おしゃれ魂(?)に火が
ついたRenaは、母に遠慮せずに「ほかにもどこか
行ってみたい!」と言ってみて、マフラーなどを買っ
た雑貨屋さんへ行ったのです。
その雑貨屋さんへ行く途中&図書館の近くで切り取った旅の記録。
っていっても、デジカメで残り2枚撮れたので、
デジカメ&手持ちのインスタントカメラで撮ったので、
携帯ではほとんど撮ってなかったー(笑)


いちょう並木。
ichou3_200711281518

普通の道路なんだけど、本当に並木~ってくらい
長~いイチョウ並木でした。
カメラマンも悪いですけど(笑)、携帯もかなり古い
のでオレンジに写っちゃっていますが、キレイな黄
色が集まって、山吹色の並木になっていましたよ。

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テーマ : 小さな幸せ
ジャンル : 心と身体

初よが。

じょうちょふあんてい。

今からなんと
初ヨガに行ってきます

痩せたいしからだ締まりたいしね。笑
とかいってるけれどほんとはね
リラックス効果もあるんだって。
解毒作用もあるんだって。
アトピともやに最適。
行ってきます。
どきどき。

悩めるアトピッ子

「マクロビオテッィク。」の話、めちゃめちゃ長くて
すいません^^;
最後まで読んでくれた人はいるんでしょうか・・・。
なんてったって、自分でも読むのに気が滅入るの
に・・・(おいおい)(笑)

11月28日は、29日に書いた雑貨屋つきカフェに
行った後、11月28日に載せた写真の雑貨屋さん
へ行ってお買い物して、図書館へ行って、帰ってきました。
今日は、雑貨屋つきカフェの1階の、薬局での話。

アトピの調子自体はあまりよくなくて、正直お風
呂に入らないときのほうがかゆくないんです。
お風呂が悪いというよりは、入浴後につけるスキ
ンケア用品があまり合ってないのかな?と思い、
雑貨屋つきカフェの1階の小さな薬局で、相談し
て、サンプルを塗ったりもらったりしてきました。

今使ってるやつも悪くないと思うし、今使ってるス
キンケア用品を買ってる薬局の薬剤師さんはむし
ろかなり信用してるんだけれど、だからってあまり
固執しちゃいけないかなと思って。
もう美容とかはどうでもいいから、とりあえずトラブ
ルの出ない化粧水と乳液を求めています。

「ヴェレダ」は自然系だって知ってたけど、合成界
面活性剤系が1つも入ってないとは知らなかった!
薬局って言っても多種多様で、いいものが置いて
あるところとそうでところがあるから、自分で見極
めなきゃいけません。
ここの薬局は2階がマクロなカフェなだけあって、
置いてあるものは全部非合成界面活性剤と知って、
かなりびっくり&嬉しかったです。
その店で紹介してもらった一番トラブルが起きにく
い様な化粧水は、明らかに保湿してくれるだけ!
って感じで良さそうだったんですが、
商品名に「すぎ」という文字をを見つけて・・・

り「これって・・・杉と関係あるんですか?」
店「・・・わかんないですねー・・・。」
り「スギ花粉症なんですけど・・・(笑)」
店「チョット待っててください」
(どこかへ行って、帰ってきました。)
店「ちょっとわかんないんだけど、やめたほうがいいかも」
り「(;_;)」

お店のかたは、知識はあるところはあるんだけど、
ないところはなさそうで(笑)、普段行ってる薬局
の薬剤師さんより、ちょっと不安。だけどとても優
しい方でした。
商品の質や見た目も大切だけど、料理屋にしても
洋服屋さんにしても、そのお店の人柄っていうのは
「また行きたくなる」っていううえで、とても大切だと
思うのです。
そしてそういうところって、そこの商品を買いたくな
るし、そういうところで買ったものは時間がたっても
色褪せて見えず、不思議と大切にしたくなる。

ヴェレダでは、アーモンドシリーズが一番トラブル
肌に良いのだそう。でも、私の考え方としては
「化粧水→乳液」の手順なのだが、アーモンドシリ
ーズにはそれがない。クリームだけなのだそう。
メーカーの考え方が自分の考え方に反すると、いろいろ不安。

ヴェレダのサンプル(アーモンドクリーム)を手やら
首やらに塗って、お店の人に「顔と手は全然違うか
ら」と促され、怖かったけど顔にも塗ってみて・・・
他のメーカーのオイルのサンプルを買って、帰りました。
家に帰って、最後の最後に首や顔に塗った所は
ほんの少しかゆくなりました。でも手に塗った所は
気にもなりませんでした。(わかってはいたけれど、
顔と手は全然違う!)うーん。最後の最後だったし、
結局私は何を塗ってもかゆくなる気がする。

テーマ : アトピー性皮膚炎
ジャンル : 心と身体

Message of HEART
HEART
THANKS for coming!!

letters of HEART
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Rena(りな)

Author:Rena(りな)


りなのCafe・ふついちに
いらっしゃいませ。
どうぞおくつろぎくださいまし。

もや子の日常
アトピの日常
想ったこと、感じたこと、話したいこと…
ありのままを、恥ずかしいけれど
照れ臭いけれど、綴っていくんだ。
私がつづってゆくことで、誰かの役にたてたり、誰かの心になにか響かせることができたらいいな。
そして、まだまだ子供なあたしが、一緒に成長できていけたらいいな。
いろんな人に出会って・・・。

マイナス思考。ぐちも吐く。弱音も吐く。
言い訳もする。
考え事ばっかりしてるのに
成果が出なかった。
力のコントロールが
じょうずに出来なかった。
要領が悪い。不器用なんだ。
一日という短くて長い時間を
生き抜くだけで精一杯だったよ。
大きな変化はないけれど
きっと徐々に進化しているのだ。
だから、そのまま。
自分らしく、あたしらしく。生きる。
それが結構むずかしいのだけれど。
いま、じぶんが、できることをする。
楽しく生きる。
今を楽しく生きなきゃ
未来もきっと楽しくない!
時には人に頼って、
支えてもらって、
背中を押してもらって。
希望がみえるトコロまで走り続け、
近い未来も遠い未来も信じて。
自分を信じてくれる人を信じて。
人に信じてもらえる自分を信じて。

無理しない。
あきらめない。
頑張り過ぎない。
ふつうでいい。
文句言う前に薬飲みぃ。
とりあえず死ぬな。
何があっても
生きることだけはやめるな。
時に強くなれ。
時に弱くなれ。
それがきっと人間。
それがありのままの
あたし。

息ぎれ?がんばった証拠じゃないか。
でも頑張らなくていい。
「前を向く」だけでいいじゃないか。
いつか一瞬のうちに消えてしまうしゃぼん玉すら、キレイで美しい。
長い年月をかけて積み上げた積み木の塔は、どれかが欠けては成らない。
矛盾は許せなかったのに
矛盾だらけの人生だ。
もやもやもやもや
ぐだぐだぐだぐだ
落ちるとこまでとことん落ちれ!
落ちたらあとは、あがるだけだ。
しゃがんだあとは、ジャンプだ!

そんなりなを応援してくれている人、
ありがとう。
「感」と「心」と「気」をもって接してくれる人、
ありがとう。
毎日遊びに来てくれている人、
ありがとう。
言葉をくれる人、ありがとう。
いつも見守ってくださってありがとう。
わたしをやさしく見守ってくれる
あなたを、おんなじきもちで
見守っていたい。
その1つ1つの言葉が、モーションが、気持ちが、嬉しい。
出会ってくれた全ての人に、
ありがとう。
愛。気持ち。感謝。、伝えたいよ。
出会いは大切。
フィーリング。ハート。
相手の気持ちを大切にしよう。自分の気持ちも大切にしよう。

私は言葉のチカラを信じている。
ときに折れそうになったこれまでも、これからも。
伝えることを続けたい。
聴くことをやめたくない。
忘れたくない。
伝えるということを。
こころをもってつなげれば、
伝わるんだということを。
広くて狭い世界の中で
この狭くて広いネットの1ページを、
わたしは、信じてる。
だからわたしはここにいて、
発信しつづけるんだ。

ぽわ~ん ぽわ~ん
ぽわわわわわわ~ん

受け入れてくれてありがとう。
大きな愛で包んでくれてありがとう。
どっかん愛してる。
今日も明日もあさっても、ずっとずっとあいしてる。

「自分らしさ」なんてむずかしく考えないで、
そのままで、わたしらしく、生きていけばいい。
間違えても、またスタート地点につけばいい。戻ればいい。
捨ててしまったなら拾えばいい。
見つかるまで探せばいい。
暗中模索も無駄じゃない。
すべてなくなっても、自分がいる限り、人生は終わらない。
むしろすべてなくなったほうが、純粋でまっさらできれいってこと、知ってた?
嬉しさも悲しみも無限の人生は、果てしなく
どこまでも続いているのならば、わたしは
「行けるとこ」まで、なんて決めずに、
どこまでも行きたい。生きてみたいのだ。
どこまでだって行ける。何者にでもなれる!

信じなくっちゃ、立ち上がらなくっちゃ、始まらない!
外に出たら、上を見上げてみてください。
そこには空がある。光がある。
だから私は、今日も、生きている。




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