あたしらしさを失わずに

自分らしく、生きたい。
自分の思ったままに、周りの目なんて気にしないで。
自分の考えたまま発言して、自分の思ったまま描いて、
自分の生きるままに生きて。

高校2年生の秋だったっけ。
何月に何があったかとか全然覚えてないけれど
11月に行った気がする。
1回目は10月だったかもしれないけど
11月に行き始めたという意識が強い。

そんなのドラマの世界だけだと思ってたり
私には絶対縁のない、反対方向のものだと思っていた。
敬遠っていうより抵抗があった、
カウンセリングというもの。

それから心療内科も行ったりして。

イイ風に言ったら協調性。
家では自分でも気づかないくらい
わがままで自己中で甘えん坊な妹だったけれど、
自分で言うのもなんだけど、外では結構イイ子だった。
見栄っ張りとか本音を言わないとかいい子ぶりっ子とか
そういう極端な感じではないけれど、
ある程度は周りに合わせられた。
もちろん大切な友達にまでひどく
気を遣って合わせることはないし
思ってもないことに「わかるー」とは
言ったりしない子だった。
いわゆる「空気は読める」子だったと思う。
すごくじゃなく、人並みに。
同感しない意見を「わかるー」と言わない代わりに
思いっきり否定する場面とか空気ではないなぁーと
判断して否定しなかったりもしたし、
ただ単に否定する勇気がなかったりもした。

でも今の自分と比べれば、
この時も全然「自分」を持っていなかったなぁというか、
知ったかぶりしてたなぁというか。
まぁ単純に中学生や小学生の頃って
大人のときより、ものをはっきり言えなかったりする
っていうのもあると思うけど。
多分その逆もあると思う。
大人になればなるほど、自分がわからなくなる。
最初はわかってて、つい周りを気にしちゃっているうちに
自分を変えちゃうんだか、なんなんだか。

多分そういうのもあって、こういう症状にあたしは
なっちゃったんだと思うのだが。
高校2年生の時に
「自分のペースでいいんだよ」という意味とかを何となく
わかった私は、だんだんとそうできるようになった。
もちろんある程度は協調性を大事にしていきたいという
気持ちは変わらないが、
周りの理解と協力があってのことだと思うが、
ゆっくりすぎるくらい自分のペースを保って歩めた。

ほっとしたくなるような楽しいところを作りたかったここでも、
愚痴ばかりいっていたけれど、
Renaの場所なんだからRenaの書きたいことを
書けばいいんだよ、と言ってくれる人が何人もいた。
何人も、といっても、いても多くて3人か4人が限度だと思う。
でも私には、皆がゆってくれているような、
それくらい偉大な言葉だったのだ。

それでも見てくださる人がいるから、
できるときは推敲して、
推敲も何も、もともと文才がないから仕方ないのだけど
読みやすさを心がけている。
私はつい、「なんか」とか「~とか、」とか読点が多くて、
文字にすると読みにくい一言ばかり並べるから。
でもそれは無理してるんじゃなくて、必要なことだと思う。
(無理して推敲したり頑張って書こうとしたりして、
疲れて更新休んでるときもあるんだろうけど、
それは自分で反省してるからいいのだ。)
今までの言葉で言えば、協調性、というか・・・。
周りの目を気にすることも大切な場合もあると思うから。
そういう場合は「気にかける」というのだろうか。

対人恐怖症だから、
人が気になる、人が怖い。んだけどね(笑)
そういう直で接する外界からの目じゃなくて。
人からの評価とか、目に見えない視線とか。
そういうものを気にしないでよくなったときもあった。
あぁ、私ってすごく強くなったなぁって思ったよ、その時。
いい意味で何もかもがどうでもよくなるというか、
もや子になると、したいこととか、欲がなくなるから、
その代わりなのかなんなのか、周りの目とかもどうでもよくなるんだ。
生きることを放棄しているとかじゃないと思うんだ、多分。
ほんとに苦しくなった時はもうなにもかもどうでもいいよ
地球消えちゃっていいよみたいなような無責任なこととか
思うけどさ(笑)(冷静な頭じゃないので大目に見てね・・。)。
この場合は多分そうじゃなくて、
めちゃめちゃもや子になったときって本当に
必要なものしか見えなくなるんです、私は。
寒さも感じないし、お金も本当にいらないって思ってた。
なんていうのかなー、うまく言えないんだけど。

働いていない人は社会的評価なんて気にならないよね。
多分わたしもそう。
でも働いている人は実際そうにはいかないし、
実際裏金やってる上司の告発も、テレビ見てたら
やっちゃえやっちゃえ!って思うけど、
実際に夢の会社で働くことができた私だったら、怖くてできない。
悪く言ったら、私は何にもやってないから
怖いもんなんかなくなるのかもしれない。
でもそうは思えないんだ。
もや子になると、なんかこう、ココロが
まっさらになるというか、純粋になるというか。
自分の本心が見えるというか、
元気になればなるほど見えなくなっていくことが、
皮肉なことにもや子になればなるほど
自分が愛しているものしか見えなくなるんですよね、多分。
1年半~2年前くらいなんだけど、
(たしか2006年末ここにこんなようなことを書いたと思う)
愛がなくては生きていけない、
お金がいくらあってもお金だけじゃ生きていけない、
っていうことを心から実感してしまったんですよね。
それを感じる少し前まではそう思いながらも
思うというよりは、そう信じたい!という夢見る少女だった。
でもそれを実感した瞬間、何故だか私はお金より愛派だと
言える自信がついたー!と喜んでいた気がする(笑)。
(別にそんなこと選ばなくていいのに、そういう
選択ゲームがあったりテレビでそういうディベート
バラエティ番組があったりしたからだと思う。)
昔の見栄っ張りだったとかいう話につながるようだけど、
私はどこかで、「絶対愛だー!」とか言いながら、
(人生で)最後に、又は常日頃、お金を選択してしまって
いたらどうしようという不安があったのかもしれない。
(もっと細かいことを言うと、愛が溢れている今は、
家計とか予算=お金を優先するけど。多分大事な
ところで最終的に、ということだと思う。。。)
だからすごく、安心したのだと思う。
お金は生きていくうえですごく大切だと思うし、
もう働いていてもおかしくない年齢の私は、
いろんな理由で親のもとに世話になっている私は特に、
「生きていくうえでお金は大切だ」と痛感している。
お笑い芸人みたいに4畳半の貧乏ボロアパートで
苦労したわけじゃないから、もしかしたらまだ
全然痛感しきれてないのかもしれないけれど。
だけどそれよりも大切、、、というよりは
必要で必要で仕方なかったものは、愛だった。愛情だった。
高校2年の冬、それまで「寂しい」ということが
なにかよくわからなかったのに、
すごくさみしい、さみしい、さみしい、と思った。
私がこれから先何度お金に目がくらんでしまおうとも、
あの冬、私がお金がいくらあっても全然嬉しくない、
誰かにいてほしい、お金じゃ満たされない、と思ったのは事実なんだから。
さみしさは、お金じゃ埋められないんだよなぁ。


すごく話が脱線気味になったが、一応全てに通ずる話を
したつもりだ。
それを上手くまとめられないだけで。(笑)

なんかね、あの頃は、出かければ人は
怖かったけれどそういう物理的なことじゃなくて、
周りの目なんか気にしなくて生きていられたのに。
・・・びくびくおびえてるとかそういうことじゃなくて。
(それは対人恐怖のときのことで。^^;)
やっぱりどんどん元気になるうちに・・・
極端に言えば、自分をつくってしまうというか。
周りの目を気にしちゃうというか。
ウケを狙ってしまうというか。
でもねー絵でも詩でも小説でも・・・(芸術分野?)
ウケを狙って描くと、うまくいかないんじゃないかなーって、思う。
証明はできないけど。ウケを狙うって
言葉にすると、なんかやらしく聞こえるけど、
ものすごく、じゃなくて、誰でも多かれ少なかれ、
誰かに見られていることを気にして
描いているんじゃないかなーと私は思う。
もちろん全員が全員じゃないとは思うけど。

例えば昔、1年に1度大きな絵を描く機会があったんだけど、
先生には人間を描いたほうが面白いって!って言われてたんですが、
キレイな花を描きたい!と思って、描いたら、
それまではある程度小さな賞はとれてたんだけど、
入選しかしなかった。
私は決してウケを狙ってたとかじゃないんだけど
やっぱりどこかでキレイな花を描いて見せたい、
人間は上手く描けないっていう気持ちが子供なりにあったんだと思う。
(でも先生は先生で、「人間を描いたほうが面白い」
というウケを狙っていたのか(笑)、今考えると。。。)
あと最近で言うと、色鉛筆で絵を描いている時に、
自分のもやもやな気持ちを表そうとしたが、
途中から冷静になってきて、余計な色をつけたり
してしまった。
それも別に誰かに褒められたいとか、
魅せたいとかじゃないんだけど^^;
大きく分けるとその分野かなーというか。
結局自分のままの気持ちを色に表さずに、
きれいな色にしようという気持ちが優先してしまった。
ブログでも、ちゃんと書こう、と(もちろん文に嘘はないけど)
決め決めに描くよりも、雑に思ったままを書いたときの方が
コメントや拍手が来たりして、昔は結構驚いた。
そういうときは、あぁー自分の書きたいことを書けばいいんだな~って
安心します。

あ、プロとクリエーターで分けると、プロはウケを狙って、
求められているものを描くからそれでいいと思う。
だからこれまでのこの話は、クリエーターの話になるのか。
自分が思うままに描くものが、消費者や視聴者に
求められるものになればいいのにな。
それは自分の将来的な意味でも、自分の普段の生活の意味でも。
でもそんなの、難しいよね。
特に普段の生活でもそんな風になっちゃったら、
それってただの「自己中心的」になっちゃうんじゃないのか。(笑)

・・・・なんか、ウケを狙ってるとか書くから大げさに
聞こえるかもしれませんが、私が書いてることは
全部ウケ狙いじゃなくてほんとのことですからね!^^;
ただ、読みやすさを考えたり、ちょっと読んでる人の目を
気にしながら書いちゃうときもあるということ。
でもそれって誰でも1でも100でも少しはそんな
気持ちあると思いますけどねぇ。ないのかな?
やっぱりわたしだけ?
例えば好きな人の前では可愛くいたい・・・かっこよくいたい・・・
みたいな感情も一緒だと思うんですけどねぇ。(違う?^^;)
どっちにしても、ふついち-my real heart-では
恥ずかしいくらい本音しか言ってないので、
安心してください。(笑)
(その代わり文章を少し丁寧にしてるときもありますが!)
正直に生きたい、そういう気持ちを実現させてくれるのがここです。
そんな自分勝手なRenaのままのCafeに
いつもきてくださるみなさん、こんなRenaを受け入れて
応援してコメントくださるみなさん、画面の前で見守ってくださっているみなさん、
みんなに本当に感謝しています。






えー、延々と、話はとびとびで長くなりましたが、
(しかも最後は感謝の言葉になってるよ!いいけど!笑)
「自分らしく」生きられていたあの頃に比べて、
また周りの目を気にするようになっちゃったなーと
思いましてね。
えー、ここまで完全ノーカットでやってきております。(笑)
さっきも言ったけど、
周りの目を気にしてるってそんなびくびく気にして
合わせまくってるんじゃないですよ。
でもね、前よりは、また自分を持たなくなっちゃったなぁーと。
そういう意味ではもや子は本当にいい子です。
もや子は私に愛を教えてくれた。
もや子は私にいろんなことを教えてくれたなぁー。
さっき言ったように、働いてもないし、ただ怖いものが
なくなるから、愛だ!とかお金だけじゃ・・とか
ぬるいこと言ってられるんじゃないの?と言われても
仕方がないんですが・・・(笑)。
だって、本当にそうかも。正当化してるだけかも。正しいのかわからない。
なにが正解かわからない。
でも、もや子は自分らしさを教えてくれたのは確かだなぁーと
思います。
だからこんなふうに、ときどき振り返って
またあの頃の自分らしさを取り戻そう。
もやもやで苦しくって何にも要らなかったもや子だけど、
自分らしさと自分のペースだけは
誰にもふりまわされないくらい
(といっても柔軟性なくて突然のこととかに振り回されてアタワタしてたけど、笑)
持ってたから、それを思い出して。
自然に、ナチュラルに。つくらずに、飾らずに。
なにも怖がらないで。
このままの自分を受け入れてくれる人はきっといる。
そんな人たちと私も付き合って生きたい。
だけどそれだけじゃやっていけない。
自分の好きな人に受け入れられないとか、
難しいこともいっぱいこれからある。
でもそれに立ち向かう強さも今から作る。
問題に出会ったときは、出会ったときだ。
であったときに、また葛藤して泣いて答えを見つければいい。
流れに身をまかせるんだ。
今日からまた、あたしらしさを忘れないで、失わないで、生きてゆきたい。








































↑と、かっこよく終わりたかったんですが(←ここがかっこつけ!笑)
いつもはこういう時このまま終わるんですけどねー。
今日は最後に一言。
今少し意味不明やわ・・というところだけ修正とかしましたが、
読み直してみて、
うわー、今日は自分らしい文書けたかも!って思いました。
いやぁ、いつも自分の気持ちのまま書いてるんだけどね。
何か文体っていうか・・・、こういう長ーい真面目な話を、
思いっきり書けたなぁーと思いました。
別にいつも無理してるんじゃないよ!
でもねぇ、なんかねぇ、ほんとノーカットだから。
やっぱり自分のままでいられるって幸せ。嬉しい。
自分らしく生きられるって、気持ちいいよね。

テーマ : 対人恐怖症・社会不安障害
ジャンル : 心と身体

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Rena(りな)

Author:Rena(りな)


りなのCafe・ふついちに
いらっしゃいませ。
どうぞおくつろぎくださいまし。

もや子の日常
アトピの日常
想ったこと、感じたこと、話したいこと…
ありのままを、恥ずかしいけれど
照れ臭いけれど、綴っていくんだ。
私がつづってゆくことで、誰かの役にたてたり、誰かの心になにか響かせることができたらいいな。
そして、まだまだ子供なあたしが、一緒に成長できていけたらいいな。
いろんな人に出会って・・・。

マイナス思考。ぐちも吐く。弱音も吐く。
言い訳もする。
考え事ばっかりしてるのに
成果が出なかった。
力のコントロールが
じょうずに出来なかった。
要領が悪い。不器用なんだ。
一日という短くて長い時間を
生き抜くだけで精一杯だったよ。
大きな変化はないけれど
きっと徐々に進化しているのだ。
だから、そのまま。
自分らしく、あたしらしく。生きる。
それが結構むずかしいのだけれど。
いま、じぶんが、できることをする。
楽しく生きる。
今を楽しく生きなきゃ
未来もきっと楽しくない!
時には人に頼って、
支えてもらって、
背中を押してもらって。
希望がみえるトコロまで走り続け、
近い未来も遠い未来も信じて。
自分を信じてくれる人を信じて。
人に信じてもらえる自分を信じて。

無理しない。
あきらめない。
頑張り過ぎない。
ふつうでいい。
文句言う前に薬飲みぃ。
とりあえず死ぬな。
何があっても
生きることだけはやめるな。
時に強くなれ。
時に弱くなれ。
それがきっと人間。
それがありのままの
あたし。

息ぎれ?がんばった証拠じゃないか。
でも頑張らなくていい。
「前を向く」だけでいいじゃないか。
いつか一瞬のうちに消えてしまうしゃぼん玉すら、キレイで美しい。
長い年月をかけて積み上げた積み木の塔は、どれかが欠けては成らない。
矛盾は許せなかったのに
矛盾だらけの人生だ。
もやもやもやもや
ぐだぐだぐだぐだ
落ちるとこまでとことん落ちれ!
落ちたらあとは、あがるだけだ。
しゃがんだあとは、ジャンプだ!

そんなりなを応援してくれている人、
ありがとう。
「感」と「心」と「気」をもって接してくれる人、
ありがとう。
毎日遊びに来てくれている人、
ありがとう。
言葉をくれる人、ありがとう。
いつも見守ってくださってありがとう。
わたしをやさしく見守ってくれる
あなたを、おんなじきもちで
見守っていたい。
その1つ1つの言葉が、モーションが、気持ちが、嬉しい。
出会ってくれた全ての人に、
ありがとう。
愛。気持ち。感謝。、伝えたいよ。
出会いは大切。
フィーリング。ハート。
相手の気持ちを大切にしよう。自分の気持ちも大切にしよう。

私は言葉のチカラを信じている。
ときに折れそうになったこれまでも、これからも。
伝えることを続けたい。
聴くことをやめたくない。
忘れたくない。
伝えるということを。
こころをもってつなげれば、
伝わるんだということを。
広くて狭い世界の中で
この狭くて広いネットの1ページを、
わたしは、信じてる。
だからわたしはここにいて、
発信しつづけるんだ。

ぽわ~ん ぽわ~ん
ぽわわわわわわ~ん

受け入れてくれてありがとう。
大きな愛で包んでくれてありがとう。
どっかん愛してる。
今日も明日もあさっても、ずっとずっとあいしてる。

「自分らしさ」なんてむずかしく考えないで、
そのままで、わたしらしく、生きていけばいい。
間違えても、またスタート地点につけばいい。戻ればいい。
捨ててしまったなら拾えばいい。
見つかるまで探せばいい。
暗中模索も無駄じゃない。
すべてなくなっても、自分がいる限り、人生は終わらない。
むしろすべてなくなったほうが、純粋でまっさらできれいってこと、知ってた?
嬉しさも悲しみも無限の人生は、果てしなく
どこまでも続いているのならば、わたしは
「行けるとこ」まで、なんて決めずに、
どこまでも行きたい。生きてみたいのだ。
どこまでだって行ける。何者にでもなれる!

信じなくっちゃ、立ち上がらなくっちゃ、始まらない!
外に出たら、上を見上げてみてください。
そこには空がある。光がある。
だから私は、今日も、生きている。




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