笑わないで

私は人のために、誰かのために絵を描くことはできないみたいです。


私は人のために、誰かのために絵を描くことはできないみたいです。
例えば誰かに頼まれた場合の、プレッシャーで描けない
だけだと感じていたけれど、それだけではないみたいだ。
自分のためにしか描けないみたいだ。
写真は、誰かのために撮れる。
本能のままそのまま、素直になればいいのか、
「好きだから怖い」という言葉がある。
好きだから、真剣になりすぎる。好きだから、向き合えない。
好きだから、素直になれない。好きだから、考えすぎてしまう。
好きだから、イライラする。好きだから、責めてしまう。
好きだから=一番必要としているから=大切だから。
自分を大切にすることは少なくとも悪いことではない
と思うけれど、「自己愛」というのは、私にとって、
しっくりくる言葉が見つからないけれど、
なさけないというか、なんだか醜い。

すべては、持ち合わせている「余裕」と素直さから
できている、生まれていく、優っていくのだと感じる。
少なくとも今思い付く限りでは。

自分の遺伝子を遺したくないだなんて
100%思っているわけじゃない
此処の記録だってきっとすべては自己愛から来ている
こんな自分だからこそ逆に子孫を遺して生かしたい
という気持ちもある。
だけど、自分が育ってきて生きてきて、いろんなひとを見てきて
人を生んで育てるのがこわいと想った
それはかなりずっと前から
いじめられないだろうか
アトピーにならないだろうか
もやにならないだろうか
思春期にどう接したらいいんだろう
離婚したらどんな風に接しればいいのだろう
携帯電話を持たせないことで疎外させたら
無意識に兄弟差別をしていたら
死にたいと言われたらなんて言ってあげればいいのだろう
すごくつらそうで殺してと乞ってきたら殺してしまいそうだ
引きこもりになったらどうしよう
学校に行かなくなったらどうしよう
誰かをいじめてしまったらどうしよう
煙草を吸っていたので注意したら逆ギレされたらどうしよう

言ったらきっとみんな笑うことばかり想像している
昔からそうだった
単にネガティブになっているのではなく
そういう方向でしか考えられない、そういう方向を
前提として物事を進めてしまう。
悪い方向に考えている意識はなくなり、それしか見えなくなる。

食事さえ与えれば子供は健康だろうが不健康だろうが嫌でも育つ。
意外と難しくはなく、勝手に育っていくのだろう。
だからこそ、こわい。
誰にもできることだと言われたら、
私はできなかったらどうしようと考えてしまう。
私を置いて、勝手に成長していく。
ずっと自分のそばに置いておきたいのか。
いつかいなくなる大切な人の代わりに、生むのか?
そうじゃないでしょう。

このひとは、無条件に愛してくれる。
おばあちゃんに抱きついたとき無意識そう感じた。
私が無条件にママを求めるように、
無条件に彼らを愛せるだろうか。
子供が被害者になろうと加害者・犯罪者になろうと
見捨てるつもりはない、見捨てたくない、
見捨てない自信がある、と言いたい。護りたい。
だけど、どう接していいかがわからない。
どうしてそうなってしまったのか。
壊してしまわないだろうか。傷つけてしまわないだろうか。
「自分は、傷つかないだろうか」。

起こってもいないことをあれこれ想像したって、
しょうがないじゃない、と呆れて笑われるだろう。
だけど、生んでからじゃ遅いんだよ。
お腹にいる間は殺人ではなくて、
生まれたら殺人なのは何故なんだろう。
どうして「脳死は人の死」なんだろう。
否定できる確かな論は持っていない。
だけど、そこに、人は体温を持って、居るのに。
たった20年、しかも温室でぬくぬくと育ったわたしには
わからない事情はひとの数だけあって、
仕方なく中絶するひともいっぱいいると思う。
望まない妊娠、望まない中絶。
「だけど、どうして止められなかったのだろう」
それが、わたしにとって
「どうしてあの時もっと頑張って学校に行かなかったの?」
と言われることと同じなら、もう訊いてはだめだと思う。
恥ずかしいくらい子供な私は、一度体験して痛感しないと、
その重みやもどかしさをわかれない、阿呆みたいだ。
私は中絶した友人を、責めてはいけないと思いながらも、
結果的には責めてしまった形となった。

私は完璧にしようとしてしまうから駄目なんだと思う。
たぶん決して完璧主義ではないし、真面目でもない。
途中で投げ出してきたことは数えきれないほどある。
完璧にやろうとして、できなくて、投げ出す。たちが悪い。
有言無実行、と言ったところだろうか。
有言実行と言う言葉を知ったときから耳が痛くて、
無言実行にしてたかな。
子供がアトピーにならないように、多分妊娠中から
神経質に食事に気を付けようとして、
逆にストレスになってやけ食いする。目に見えてる。
そこまでわかっているのに変えられない。
緩めることで、もっと緩くなるから。
塾に通わせて、いい成績とらせようとするか
頑張らなくていいんだよ、頑張らなくていいんだよ
と繰り返し、極上の怠け者に仕上げる。
ママの性質を批判しておきながら、
私も子供にきっと同じことをする。
虐待されていた子供が、反面教師にならずに、
また自分の子供に虐待してしまう、というのが
わからなかったけれど、今なら理解できる。
推奨するわけではないが、子供に悪いとわかりながらも
煙草を吸ってストレス解消をしている友人のほうが、
よっぽど潔いと私は思うんだが、違うだろうか。
私は天使の仮面を被った悪魔だ。

ずっと、気持ちが大切だと思っていた。
マナーを守ること、ルールを守ること、
正しいと云われることをすること。
そうしたら、線路を踏み外すことはないと思っていた。
だけど、感謝の気持ちが深くても、その分憎悪があれば、
感謝も憎悪もないひとたちのほうが、
必要とされていくのだ。求められるのだ。
例えば、ああしよう、こうしよう、
そう想っているだけじゃだめなのだ。伝わらないのだ、
いや、伝わる、伝わらないの問題ではない。
気持ちがどこにあろうと行動を起こしたもの勝ちなのだ。
安全な道を歩くよりも、冒険する航海者が世界を見れるのだ。
知らない道に行くからこそ、開拓して新しい歴史が始まるのだ。
・・・こころやさしい引きこもりより
家出した手のかからないヤンキーが求められるのだ。
・・・ほんとに、そうかな?
ちがうよね、逆だよね?
・・・逆じゃない。多分、どちらでもない。
お前の考え方は、根本的に間違っている。
ストレートに見えてねじれてて、純朴に見えてすごく醜いよ。

それくらいなら、自分で産んで施設に預けて
誰かに育ててもらいたい、適当に。
子供が欲しくてたまらない里親に。
施設に預けて、とか、こんなこと言ったらだめなんだろうな。
適当に、って悪い言葉ではない。適するように、なんだから。
だって私は絶対的に完璧につくりあげようとしてしまう。
子供じゃなくても。
見捨てたくない気持ちがあったとしても、
途中で投げ出す前科があるんだ私には。
途中で投げ出したことのないひとなんていないよ?
教育者には向いていない。
教えれないよ、と、言われた。
別に子供がどんな風になったってわたしはいい。
だけど、子供がかわいそうだ、こんな親じゃ。
自分のエゴで子供を産んじゃいけない。
私は、これから先どんなことがあろうと、
生まれてきてよかったと思いつづけたい。
思うような人生を歩んでみせる。
ママがどれだけ自分を責めようとも、私に負い目を感じていても、
私はこの家族でよかったと思っている。
未だにアトピーが治らないことは腹が立つしつらいけれど、
アトピーともや子になったこと自体は、
なってよかったと思っている。それは変わらない。
ただ、親の立場でこの言葉を想像するとは思わなかった。
「産んでくれなんて頼んでない」
「どうしてわたしを産んだの?」
「子供は親を選べない。」
私は子供にこんな気持ちにさせないだろうか。

傷付けるのがこわい。
こころに触れるのがこわい。
生身の心臓に、素手で触れてしまうような
不衛生さがありそうで、
ばいきんがつきそうなんだ。
自分が傷つくことを怖れなかったら、
それもできるようになるだろうか。こわくなくなるだろうか。

私はどちらかというと馬鹿にされることのほうが多くて
―――人を見下すのは見下されるのがこわい裏返しだと思う。
優越感はある意味劣等感の裏返しだと思う。―――
馬鹿だね。と真っ向から馬鹿にされる気持ちは、
少しはわかるつもりだし、あまり人のことを、
馬鹿だとか云う水準が基本的に頭にない。
でもただ、人類を滅亡させることで再起動とか云ってるのは、
このひとたちバカなんじゃないの、と心底思った。

施設に預けるほうが、ずっとかわいそうだね。
だけど、施設だろうとなんだろうと、
・・・別に美化した夢物語のようでなくていいから、
傷付けられても傷付けても、最期には私が母を想うような気持ちを
抱くようなつよい子になってほしい、
そんな気持ちがあれば、できるかな。


建築上の税金の決まりとか制限があろうと
わたしはやっぱり3階建てにしたい。
昔はただ、坪が少ないだろうから縦長にって思っていたけれど、できれば屋上もつけて。あ、それじゃあ雪が降るところはだめかな。
だって、空がいつでも家から見渡せるでしょう。
今はわざわざ見に歩かなくちゃいけなくて、もどかしいんだ。
澄んだ青空に白い雲、暖かい日差し。
夕焼け、星空、月。
そして、朝の薄暗い、心地よいさびしげな空も好きなんだ。
でもそれじゃあ、家から出なくなっちゃうかな。

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Rena(りな)

Author:Rena(りな)


りなのCafe・ふついちに
いらっしゃいませ。
どうぞおくつろぎくださいまし。

もや子の日常
アトピの日常
想ったこと、感じたこと、話したいこと…
ありのままを、恥ずかしいけれど
照れ臭いけれど、綴っていくんだ。
私がつづってゆくことで、誰かの役にたてたり、誰かの心になにか響かせることができたらいいな。
そして、まだまだ子供なあたしが、一緒に成長できていけたらいいな。
いろんな人に出会って・・・。

マイナス思考。ぐちも吐く。弱音も吐く。
言い訳もする。
考え事ばっかりしてるのに
成果が出なかった。
力のコントロールが
じょうずに出来なかった。
要領が悪い。不器用なんだ。
一日という短くて長い時間を
生き抜くだけで精一杯だったよ。
大きな変化はないけれど
きっと徐々に進化しているのだ。
だから、そのまま。
自分らしく、あたしらしく。生きる。
それが結構むずかしいのだけれど。
いま、じぶんが、できることをする。
楽しく生きる。
今を楽しく生きなきゃ
未来もきっと楽しくない!
時には人に頼って、
支えてもらって、
背中を押してもらって。
希望がみえるトコロまで走り続け、
近い未来も遠い未来も信じて。
自分を信じてくれる人を信じて。
人に信じてもらえる自分を信じて。

無理しない。
あきらめない。
頑張り過ぎない。
ふつうでいい。
文句言う前に薬飲みぃ。
とりあえず死ぬな。
何があっても
生きることだけはやめるな。
時に強くなれ。
時に弱くなれ。
それがきっと人間。
それがありのままの
あたし。

息ぎれ?がんばった証拠じゃないか。
でも頑張らなくていい。
「前を向く」だけでいいじゃないか。
いつか一瞬のうちに消えてしまうしゃぼん玉すら、キレイで美しい。
長い年月をかけて積み上げた積み木の塔は、どれかが欠けては成らない。
矛盾は許せなかったのに
矛盾だらけの人生だ。
もやもやもやもや
ぐだぐだぐだぐだ
落ちるとこまでとことん落ちれ!
落ちたらあとは、あがるだけだ。
しゃがんだあとは、ジャンプだ!

そんなりなを応援してくれている人、
ありがとう。
「感」と「心」と「気」をもって接してくれる人、
ありがとう。
毎日遊びに来てくれている人、
ありがとう。
言葉をくれる人、ありがとう。
いつも見守ってくださってありがとう。
わたしをやさしく見守ってくれる
あなたを、おんなじきもちで
見守っていたい。
その1つ1つの言葉が、モーションが、気持ちが、嬉しい。
出会ってくれた全ての人に、
ありがとう。
愛。気持ち。感謝。、伝えたいよ。
出会いは大切。
フィーリング。ハート。
相手の気持ちを大切にしよう。自分の気持ちも大切にしよう。

私は言葉のチカラを信じている。
ときに折れそうになったこれまでも、これからも。
伝えることを続けたい。
聴くことをやめたくない。
忘れたくない。
伝えるということを。
こころをもってつなげれば、
伝わるんだということを。
広くて狭い世界の中で
この狭くて広いネットの1ページを、
わたしは、信じてる。
だからわたしはここにいて、
発信しつづけるんだ。

ぽわ~ん ぽわ~ん
ぽわわわわわわ~ん

受け入れてくれてありがとう。
大きな愛で包んでくれてありがとう。
どっかん愛してる。
今日も明日もあさっても、ずっとずっとあいしてる。

「自分らしさ」なんてむずかしく考えないで、
そのままで、わたしらしく、生きていけばいい。
間違えても、またスタート地点につけばいい。戻ればいい。
捨ててしまったなら拾えばいい。
見つかるまで探せばいい。
暗中模索も無駄じゃない。
すべてなくなっても、自分がいる限り、人生は終わらない。
むしろすべてなくなったほうが、純粋でまっさらできれいってこと、知ってた?
嬉しさも悲しみも無限の人生は、果てしなく
どこまでも続いているのならば、わたしは
「行けるとこ」まで、なんて決めずに、
どこまでも行きたい。生きてみたいのだ。
どこまでだって行ける。何者にでもなれる!

信じなくっちゃ、立ち上がらなくっちゃ、始まらない!
外に出たら、上を見上げてみてください。
そこには空がある。光がある。
だから私は、今日も、生きている。




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